
恋が終わる。
そう、1行書いてあっても恋する人の数だけ、その景色は様々。
今、世界の人口は現在65億4163万4700人(前後あり)65億分の1という天文学的な確率で誰かと出会い、恋に落ちる。
最近、大恋愛が終わった人の数もgoogleで検索出来たりして。。。
keyword→恋愛人口→search!→世界の人口情報・国際結婚・結婚相談所などのサイトで言葉がかぶっただけ。
結果。
研究途中なのか、世界の恋愛人口や失恋人口はインターネットじゃわからない。
ある時期に私は、久し振りに人間の生きる証しである“三大欲求”いうものから遠ざかっていた。食欲・性欲・睡眠欲、このどれも受け入れられない。
言い換えるなら欲が入り込む隙などなく、気付けば自我は原子に近い状態になっていて、こころは失恋の悲しみという名の気体が一杯につまった、はち切れそうな薄いゴムで出来た風船に似ていた。
しばらく感情の整理がつくまでそれ(現象と感情、私自身と相手の立場、親友のアドバイスと親友の質問、家族の心配と温かさ、仕事、という現実)に約3週間、向き合う。
“こころも肌も未来も約束も、まだ覚えてる。なぜなら、恋愛は人を支配するから。”
3週間後、この言葉の意味を実感する。
実際、何か問題の渦中にいる時は、本来の意味に近づくことはできても答えという姿に向き合うことは出来ない。
答えが見えたなら、あなたはすでに問題の外側にいるのだ。
そして、ついに私もある時点から問題の輪郭を見ることができた。
事実、恋愛関係は言葉や距離で終わらせることができる。
しかし、終わった後にやってくる、あの如何ともしがたい感じに、ある一定の時間私たちは向き合わなければならない。
あの感じとは何か?
それはきっと“支配感。”
“気持ちの整理がつきました。しかしまだ本領発揮できません。”
そんな時はこう言ってあげて。
“恋愛の支配から開放されるのは、細胞レベルでは3年かかるんだって!”
“1人につき!”と付け足すことと励ましのキスも忘れずにね!
(from kyonchi―)
悲しみから脱皮した翌日の夜。
その夜もいつも通りベランダで過ごしていた。
寄せては返す、静かな波打ち際に1人、横たわっているような時間だった。
どれだけ時間が過ぎただろう。
あたりはすっかり陽が暮れている。
何の形容もない私だけの時間。
原子に近い心だけのわたし。
久し振りだった。
その様な時間も自分も久し振りだった。
この3年間、自分を見つめ直す時間や考える時間は贅沢なほどあった。
感謝と反省と前進と発見と休息。( about a my life )
それからと言うもの、これはやらないという思考より、言い訳なしのやると言う行動を大事にした。
世界を広げ、新しい変化を迎え入れ、それを楽しみ、失敗して謙虚になり、助けられ、分かち合い、そこから学ぶべき体験が溢れるほどあった。
それ以来、フルアルバムをリリースしていない。
“HEADLIGHT SUITCACE”というアルバムがあり、その中に“is this maybe love”と言う曲の詩に
“言葉よりも雄弁な旅路を”
と記した1節がある。
言葉で説明がついてしまう人生などきっとなくて、書いて求めている以上、座っている椅子から立ち上がり、目の前のテーブルをどけ、自分の人生を使ってそれを体験する必要があった。
そして誰もが、これからもそれに終わりはなくて、人それぞれに光が差している。
そのことを見せてくれたのは最愛の母であり、母の最期であった。
恥ずかしい話だが最後まで仕事を理由に私は親孝行など余りできない生意気で甘えた娘であった。
アルバム発表後しばらくして、母が倒れ介護が始まった。
そんな私に、人生を謳歌してきた大きな母は最後まで明るい光を見せてくれたのだった。
私にとって今、母の存在は灯台の明かりのようなもの。
旅ばかりして、誰にも迷惑を掛けなかったかとは言い難いし、必ずしも立派な行きかただったとも言えないかもしれない。
しかし病室でレンタルした“グレート ジャーニー”を見ながら「ここにも行ったわ。」と口にする母、今はもう体の自由がきかないので、せめて「ここから見える夕日がキレイだから見ていきなさい」と勧める母、音楽が聞きたいのリクエストにセンチメンタル100%のピアノ ソロをかけると“なんか他に、明るいのないの?”と却下され母と父が好きでそれを譲り受けたセルジオ メンデスをかける。“こういうのが、いいのよ。”と満足気な母。
このどれもが母を言い当てていて“死を目の前にしても“don’t be down/落ち込まないで”と励まされているのは私の方だった。
世界中旅した母に一度聞いたことがある。
「ママは、どこの国が一番好きなの?」すると母は「チベット。ヒマラヤ山脈でつながるネパール。高山病とかママ、ぜ―んぜん平気なの。」
それから半年が経ち、30を迎え4ヶ月が経ち、出会いがありハワイ、ニューヨークと私なりの移動を始めた。スーパークールな素晴らしい人との沢山の出会い。
人生を謳歌なさい。と歌う母の言葉が目を閉じた心に浮かびあがる。
私にとって勇気を与えてくれるマジック ワード。
悲しいかな
終わった恋の支配力は真剣であればあった分だけ相当なもので、それだけで精一杯の状態になる。
しかし支配力の手を緩めるのも自分次第。
後悔のないようにやるだけやった後はこれしか残らない。
1.現実を受け入れる。
2.観察する。
3.観察する。
4.あらゆる付属的なものを意識から取り除く。
5.観察する。
6.自身が放つ光を見つめる。
7.あれ、何これ?とりあえず観察する。
8.思い出す。
あー。わたしだ―。
9.自分を思い出す。
あら不思議、すると心が軽くなっている。
開放の一瞬である。
10.朝起きたら、速攻、みんなに電話する。
「元気になったよ!ありがとう!」って。
「生まれたよ!
女の子でした!」でもいい。
丁度、今から10年前23歳の時住んでいた家の近所を歩いていた時のこと、眩しいなーと思って歩いていたら自分の体から光が放たれていたことがあった。何、出しちゃってるのと、一瞬アワワとして光を掻き集めようともした。
不思議なこともあるもんね。見えちゃった。ぐらいにしか思わなかった。
天気のいい日で白い服を着ていた責にしたし、1番納得がいった答えは“これが若さかな”と思って忘れていた。
その夜見た光は胸のあたりに浮かぶ金色で透明な球体。サッカーボールより小さく直径15cm位。
胸のあたりで弱く光る球体を目にした時、おっとびっくりしたけれど、わたしだー。と思った。
弱くなっちゃってごめんね。と思った。
それを見たとき10年前のことを思い出した。弱いと思ったのはその時の光りがまっすぐで強かったからだった。
しかし丁度1人分の光りは居心地がよく、なんだか優しくて愛おしかった。
見えないものが見えた的なこと公の場でいうほどサイキックじゃないし、誤解を恐れずに書いたけど、イメージが何らかの形で具現化しただけなのかもしれないのだけど、光りのお陰で私は元気です。
これは光の話。
ある夜,感じた光の話。
気のせいだったかも知れないけど,懐かしくって,優しくって,
丁度,1人分だった。
11.自分を思い出したら、お洒落して街へ出ましょう。
P.S
10年前も最近の出来事も、おなかが空き過ぎて垣間見たファンタジーそれでもいいです。
誰かやその友達が落ち込んでたら、これから元気になれるよってsearching for the lightとダイアリーでドキュメント。
支えて信じてくれた友人に感謝。
いつもありがとう。
i care 4 u , too!
be happy,
marimari
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